酔う子のユーラシア大陸お散歩ログ

ソムリエで料理研究家の酔う子が自由気ままに世界で飲み歩く様子をお届け

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やっとこさイースター島ラパヌイ博物館に行けました!
島に来てから大晦日や新年、土日や休館日が重なって全く行けてませんでした。
火曜から土曜は通常営業、日曜は午前中だけ、月曜は休館日です。
物価の高いこの島にしては珍しく、入場料は無料です。
ここに行った人に言わせれば、ネットで見れる情報ばかりで面白くないとのことでしたが、私にとっては全くそんなことはなく、モアイの情報しか浮いてないネットと違い、歴史や人々の生活にまで言及した、大変興味深い博物館だったと思います。
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まずはポリネシアの歴史から始まります。
この島はポリネシアといわれる地域の一部で、確かに絶海の孤島ではありますが、航海術に長けたこの民族はカヌーでニュージーランドやハワイにまで足を伸ばしていました。
写真は当時の海図で、潮の流れや島までうまく表現されています。
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この島ではさまざまな作物が取れます。
ヤムイモやバナナなど、とても豊かに色々育ったそうです。
なかでもトトラ、という植物は、実が食用にもなれば、叩いて繊維状にして衣類や布として利用したそうです。
トトラの実は実物を見ることができませんでした。
また料理は、土を掘って石で囲んだオーブンで時間をかけて肉や魚をじっくり調理するのが伝統的だそうです。
現在でも伝統行事の際はこれで料理を作るそうです。
掘ったオーブンなら湿気た洞窟でもお肉を焼けるんじゃないかなあと思いました。
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モアイについてももちろん言及されています。
モアイは元々先祖について思いを馳せ、自らの原点を思い出すためのものだったようです。
なので神様ではなく、決して崇拝対象ではなかったと推察されています。
大した道具もないこの時代に、モアイたちをどうやって運んだのか、また大きな重い石の帽子をどうやってモアイの頭上に乗っけたのかも大きな謎になっており、それについて図解でいろんな説を解説しています。
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モアイ関連で避けては通れないのが「マナ」という概念。
これは超自然的なスーパーパワーの類であると訳されますが、みんなで力を合わせて生まれる大きな力もまた、マナの一種と考えられました。
そのマナの象徴とも言えるのが、モアイの目。
白いサンゴで作られているのですが、現在は外に立ってるモアイの殆どの目は落ちて割れてしまっています。
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この島には文字もありました。
ロンゴロンゴ文字と呼ばれ、既に解読されているそうです。
これは表音文字ではなく表意文字で、一つ一つの文字が日にちや事柄などを克明に表しているそうです。
この博物館に併設された図書館には一冊だけ日本語の本が置かれており、それはこのロンゴロンゴ文字の解読の翻訳でした。
中身を見ると一部解釈には半信半疑になる部分もありつつも、モアイの謎から生活まで克明に記されており、なかなか説得力のある面白い内容でした。
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この他にも、人々の服装、タトゥー、葬儀について、ほかでは見れない内容などが細かく展示されています。
島の遺跡の多くには満足な解説がなく、ツアーで回らない限り理解も進まないことが多いです。
どんな人にもお勧めできる面白い博物館でした。

食人生贄エピソードが大好きで、ぜひ人間を食べてみたい私です。
イースター島でモアイの次くらいに興味津々だったのが食人エピソード。
食人エピソードだけはどこに行っても大っぴらに語ってくれる人は少ないですが、私個人は聞きたくて仕方がないトピックの一つです。

イースター島の観光地だけど何故かツアーには組み込まれていないのがこの洞窟、Ana Kai Tangataです。
街の中心部から歩いて40分ほどで着きます。

波打ち際は岩に囲まれており、ひっきりなしに高い波が押し寄せ、泳ぎたい気分にはなりません。
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そんな波間に等しいような場所にあるのがこの洞窟。
おととい訪れたオロンゴ儀式村で行われる卵探しゲームの勝者が、負けた人たちを食したと言われる洞窟です。
食うか食われるかのガチンコ勝負ならたしかにみんな頑張ります。
一部の人は食べられるのが怖くて、沖合の島から戻らず餓死したとも伝えられています。
海中には昔の名残りなのかな?と思われる不思議な形の石も見てとれます。
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洞窟内部は湿気がこもっています。
なぜわざわざこの場所を選んで、どうやって人を食べたのかは明らかではありません。
オロンゴからはまあまあ距離があるので、負けた人は食べられることを知りながらこの距離を歩いたのだとすると、ものすごいメンタルだと思います。
解体してから血を流すのはもってこいだと思うし、塩水で洗えば味も良くなると想像します。
しかし潮風も強く、火をおこすのは一苦労と思われるこの場所で、どのように調理したのかは疑問です。
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そんなことを考えるのはおそらく私だけで、観光客はここに残された壁画を見て楽しみます。
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まずはこれだけですむので、イースター島のパワースポットから。
この石は磁力が他の石より強く、コンパスがくるくるしてしまうこともあり、神格化されています。
ガイドさん的にはただの磁力の強い石だそうですが、ひとによっては妊娠祈願に座り込んだりする人もいたそうで、今は立ち入り禁止です。
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次は儀式用の村オロンゴ。
この村の沖には、儀式用の離小島があります。
この島では海鳥が毎年産卵するので、島の男性がウキを持って、海鳥の卵撮り合戦に赴きました。
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その詳細がこのパネル。
海鳥の卵をこの島から持って帰ってきた人が英雄というかほぼ神みたいな感じで、まつられます。
酋長というか、そんなのより上みたいな存在のようです。
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誰が卵を持ち帰るかは皆の関心事なため、海に面した小屋では待っている間にシャーマンが祈り、神に彫刻を捧げます。
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これが彫刻のレプリカの一つです。
彫刻自体は大変素晴らしく、スピリチュアルなモチーフが描かれています。
卵を額の卵入れに入れて持って帰ったものが勝者となります。
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この神聖な村は島の火山口に面しています。
このクレーターの湖自体はかつて洗濯やら果物を洗うのやら、生活用水として用いられたそうです。
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ちなみに、この卵探しゲームがイースターという名前の語源になったわけではありません。
イースターの時期にこの島が発見されてからイースター島と呼ばれており、正式名称はパクスア島といいます。

イースター島には本当にたくさんモアイが溢れています。
基本的に沿岸部に400ほどある、というのが一説にあります。
私が見た、ちゃんと設置されている(されていた)モアイについて書きます。

こちらはラパヌイ市内からほど近いところにあるモアイ。
サンセットスポットになっています。
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その近くにある完璧モアイ。
帽子もあるし、目玉もちゃんと入っています。
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こちらは島北部のTe Pito Kuraにあるモアイ。
春分の日にはこの方向から日が昇るとか。
他のモアイは全て島を守るために島の方を向いているのですが、これだけ海の方を向いています。
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こちらはトンガリキのモアイ。
夏至の日はこの真ん中から日が昇ります。
このモアイは津波で全て倒れたそうです。
その際この下から1500近い数の人骨が見つかったそうです。
モアイの土台の下には権力者の人骨が埋まり、その周りには一般の人の人骨が埋まっているそうです。
また、津波で倒れたこのモアイは、日本の企業が建て直しだそうです。
その後保存の薬品を塗布したため、軽く白く変色しています。
この薬品塗布にこの15体だけで100万ドルほどかかったことから、島全体のモアイには適用できず今に至るそうです。
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これはアナケナビーチにあるモアイ。
ポリネシア某所から船でイースター島に来た最初の7人は、アナケナビーチに上陸したと言われています。
それを記念して建てられたものと言われています。
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これはVinapuにある壊されたモアイ。
かつてこの島には2つの部族が暮らしており、いがみ合っていた時期がありました。
その際片方の部族によって壊されたものだそうです。
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そこにある異色のモアイがこちら。
これは頭が2つある女性のモアイだそうです。
Y字型に2つ生えていたそうです。
さらに、手の間には男性器ではなく女性器のシンボルが描かれています。
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イースター島モアイの謎は色々あります。
誰が、何のために、どうやって運んだのか、、などなど。
今日はモアイの工場でそれを見てきました。

モアイを作ったのは、スペインのイースター島侵略の1864年まで統治していたポリネシア系の民族です。
ポリネシアの島の王様が、自身が見た夢に従い、冒険団を結成し、日の出の方向に向かわせた先で見つけたのがイースター島であった、という伝説があります。
事実イースター島での生活の痕跡は紀元1200年ごろから始まっていることが確認されています。
モアイはそれ以降に作られたものである可能性が高いようです。

この写真で有名なラノ・ララクという場所が、モアイが作られる工場でした。
この2体だけでなく、もっとたくさんあります。
首から上が土の上から出ていますが、基本は身体があって、地中に埋まっています。
保存上の問題から体は埋めっぱなしにしています。
これが一番安く上がる保存方法だそうです。
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こんな感じで、モアイがモリモリ埋まっています。
この量から分かる通り、当時のイースター島でモアイ作りは一大産業だったと考えられています。
一体のモアイにもたくさんの人手が加えられ、完成後は島のどこかに運ぶための人手が必要になります。
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わかりにくいですが、これは作りかけモアイです。
完成していれば島で一番大きいモアイになります。
作りかけが放置されたままなのも、この島の人はなぜ突然モアイ作りをやめたのか、謎の一つです。
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このモアイは正座しており、足があります。
この島で唯一足があるモアイです。
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これは行き倒れモアイ。
運んでる途中に倒れて割れてしまったようです。
じゃあどうやって運んだんやと言うのも謎の一つになっています。
モアイは設置場所まで歩いた、という伝説があるので、冷蔵庫をちょっとずつ動かすみたいに、左右をチョコチョコ歩くように動かしたのではないか、という説があります。
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こちらはプナパウと呼ばれる場所。
ここに転がっているのは、モアイの頭の上の飾り、プカオです。
モアイ本体とプカオは違う種類の岩で作られています。
プカオの方は、ちょっと赤茶けた感じの火山岩です。
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これもこんな感じで無造作に転がっており、プカオたちはモアイまでたどり着くことはありませんでした。
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このプカオをモアイの頭の上にどうやって乗っけたのかも謎の一つです。
モアイを立ててからモアイまでスロープを作り、この石を頑張って乗っけた説と、寝てるモアイにくっつけてから立ち上げた説があります。
しかしこの石自体かなり大きく、トン単位の代物なので、頑張るにも程があると思います。
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そしてこれが完成モアイ。
目はサンゴでできており、目が入ることでモアイはパワーを持つ、と言われています。
しかし多くのモアイが津波や地震などで倒れており、倒れた時に目が外れた痕跡があります。
またプカオも同様に近くに吹っ飛んでいます。
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