酔う子のユーラシア大陸お散歩ログ

ソムリエで料理研究家の酔う子が自由気ままに世界で飲み歩く様子をお届け

タグ:ウズベキスタン


前回不完全燃焼だったクルトをもう一度作ります。
前回はこちら

参考にしたのはこのYouTube動画、頑張ってロシア語をちゃんと聞き取りました。


ヨーグルト800cc(2パックぶん)に塩小さじ2とレモン汁約50ccを加え、レンジでホエーと乳脂肪が分離するくらいまでチンします。
その後ガーゼなどで一晩水切りします。
これは鍋の上にザルを置き、ガーゼを置いたものです。IMG_4272

翌朝軽く水気を絞り、重石をしてさらに水を切ります。
ここまでできたらあとは水を吸わせる工程になるので、ガーゼを絞ったり、新しいものにかえたり、リードを使ったり、引き続き重石をするなどして水を吸い取っていきます。
ここでいかに水を切れるかが勝負です。
作業開始から12時間くらいずっと水気を切っていました。
レンジを使うと水はよく切れるのですが、カピカピになりすぎてしまうのでやりすぎないようにします。
水を切った状態のヨーグルトを現地ではсузма スズマと呼びます。
中央アジアでは牛乳のあらゆる状態にそれぞれ固有の名前がついています。
日本人が魚一つ一つの名前を言えるように、フランス人が料理やワイン作りの工程一つ一つに名前をつけるように、人間は生活に必要不可欠で好きなものには細かく名前をつける傾向にあるようで、言語からもそれが顕著にわかります。
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カラカラになったヨーグルトを丸めて(カラカラすぎて固まらなかった)、オーブン100℃で1時間焼きました。
動画では50℃くらいで40分とかで焼いてるようでした。
一部レンジにかけすぎてカピカピになって丸められない部分もありました。
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若干しっとりしていて、塩気も足りないけど、かなり現地に忠実なクルトになりはじめました!
ここから翌朝までこのまま放置して、さらに乾かします。

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一部味見して減ってますが、これが完成系です!
ホエーに塩が混ざって抜けてしまったようなので、途中で足しても良かったかもしれません。
若干食感がしっとりですが、日本のクソ湿気た気候でもクルト的なものが作れるとわかりました。

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美味しいです!
日本のビールしかないのが残念ですが、ウズベキスタンのカサッカサの砂まみれの風を思い出します。
多分フードドライヤーとか使えばもっといい感じでカリカリするんだと思います。
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「酔う子とピラニアのからあげ」ワインエキスパートによる、世界の珍酒、名酒レビュー
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 世界で食べ習った美味しいレシピを集めた
「酔う子とドリアンのまるやき」他の3冊にはちょっと書けないエロ・グロ・政治宗教ネタを集めた(ほぼ)書き下ろし
「酔う子とペンギンのゆでたまご」

ウズベキスタンに行ったとき、イスラム教の国なのに不躾にも「この国の、ビールにあうツマミは?!」と聞いて出てきたのが、塩っぱくてカリカリに乾燥したヨーグルトだと思うやつ、クルト。
牛乳を年単位で保存する遊牧民族の知恵のようです。
シソ(多分紫バジル)入りとかあって、大変美味しくビールといただきました。
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イランにもカシュクと呼ばれる似たものがありました。
こちらは塩味というよりも酸っぱくて、まるで梅干しのような味でした。
味的にも食感的にも、口の中の水分を全部持っていかれました。
そんなこれを、イラン人はカリカリとうまそうに食べていました。
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そんなクルトの作り方をYouTubeでしらべて、作ってみました。
お気に入りのヨーグルト、セブンイレブンのプライベートブランドのやつ2パックを、ガーゼの上にあけて約12時間水を切ります。
塩を混ぜ、軽くまとめて(多分水気が多すぎる)オーブンに入れます。
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170度で15分焼いてからしばらく余熱でオーブンにおいておき、その後30分くらい100度で焼いてできる限り水分を飛ばしました。
多分100度くらいでじっくり何時間か焼けば良いのかもしれませんが、せっかちな私は待ちきれませんでした。
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できたけど、、全くカリカリになりません。
ふわふわで、全く水気が抜けていません。
しかしこれはこれでなんかチーズっぽくて美味しいです。
はちみつかけても美味しいし、日本酒にも合います。
やっぱりタオル敷いて重石してがっつり水抜きしないとダメみたいです。



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友人の立花奈央子さんの世界史の勉強をお手伝いするため、私の旅エピソードを交えてトリビア的な部分を話す、という飲み会をしていました。
これ記録のためにもYouTubeチャンネルにしちゃおう!とかいう酒が入ったノリで動画を作ってみました。
その第1回は、ウズベキスタンはティムール朝!
 


インド編も同じ動画に収めたかったけど無理でした。
インド編はこれの続きです。
すぐに公開します! 

ウズベキスタンで食べてきたものについて紹介します。


まずは中央アジア一帯で食べられる炊き込みご飯、プロフ。
これはサマルカンドで食べるのがよかったらしいです。
(写真はブハラ)
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写真の左側から、ノン、アチチュクサラダ、ラグマン。
ノンはサマルカンドが名物の大きなパンです。
ウズベキスタンの人の主食で、何を食べる時でも必ずノンと食べます。
アチチュクサラダは、旧ソ連圏とは思えないほどシンプルで、たしか塩とハーブだけで味付けされたサラダ。
こってりマヨネーズがないのが大変良いです。
右側の汁物は、ラグマンと言われる麺料理。
うどんの原型とも言われる太めの麺が、トマトベースのスープの中に入っています。
ラグマンも中央アジア一帯に広がっており、例えばウイグルでは皿に盛られ、なんか酢豚っぽい見た目の餡がかかっています。
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そしてこちらは焼きラグマン。
上記ラグマンの麺を、多分この汁で炒めたものだと思われます。
まるで味も見た目もナポリタン、日本人にはかなり親しみやすい感じになっています。
具は卵だけの大変シンプルなものでした。
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イスラムの国で酒を飲むのはよろしくないという感覚が、まだ自分の中にあまりなかったこの頃、ガイドさんに「ウズベキスタンのビールのつまみって何?!」と質問責めにして出てきたのがこのクルト、と言われる、塩っぱいヨーグルトを固めたようなもの。
イランでも似たものがありましたが、イランのはめちゃくちゃ酸っぱかったです。
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その昔はワインをもりもり作っていたウズベキスタン、今も少しだけ生産されていました。
左側はウズベキスタンウオッカ、真ん中はロゼワイン、右端はウズベキスタンコニャック。
当時ワインの知識ゼロで、あーなんか薔薇っぽい香りがして素敵!というざっくりした感想しか持ち合わせていませんでした。
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食べ損ねたのは馬肉?の麺料理、ノリン。
聞く人聞く人めっちゃうまいしか言わないので気になってます。

旧ソ連圏のウズベキスタンでは、ロシアで私がハマりまくってたトボーラクというチーズが売られていました。
それをスーパーで買って、長いこと暑い外を持ち歩き、ホテルで冷蔵庫に入れて翌朝食べたところ、シュワシュワした炭酸みたいな食感で、今まで食べたチーズで一番美味しいものでした。
これは未だに記録が破られていません。
しかしシュワシュワはどうやら腐っていたせいで起こったものだったようで、そこから酷い下痢に見舞われ、そのまま乗った帰国便ではトイレに行きまくり、ヘロヘロになって帰宅しました。
翌日出勤するもトイレから出られず、あまりに酷いため病院に行ったら膵臓炎と診断されました。
そこから約1か月近く禁酒と油もの一切禁止で、7キロ体重が減りました。
多分ウズベキスタンのものは防腐剤とか使われてないので持ち歩きには要注意です。
お腹壊さなかったらあのシュワシュワチーズまた食べたい。

去年の今日は、電車でマレーシアに行って、ペナンでラクサを貪っていました。
うまかったなあ、また行きたい。
あとペナンのホステルでモロッコ人とマレーシア人のお友達ができて、彼女たちとは未だに交流があります。
みんな元気かなあ、早く会いに行きたい。
しかもマレーシア人の彼女は、ホステルが気に入ってそこのホステルのフロントで働いているそうです。

今日はだいぶ前の旅行を書いてみます。

2014年、私の肩書きがまだITコンサルだった頃、急に夏休みがとれたので思い立ってウズベキスタンに行きました。
コロナの今はわかりませんが、先日まで日本人はビザ不要で1か月滞在が可能だったのですが、私が行った当時はビザが必要でした。
とにかく時間がなかったので、JICという旧ソ連圏を扱う旅行会社に、ビザ含めホテルと交通機関まで全ての手配をお願いしました。


飛行機は、成田からウズベキスタンの首都タシケントまで直行便が出ていました。
約8時間だったと記憶しています。
最初の空港お迎えは日本語が話せる現地の方で、両替にもついてきてもらいました。
日本円を両替できる場所はなく、米ドルを持参して、なんかショッピングモールの隅に立ってるおっさんに両替してもらった記憶です。
当時の最高額紙幣は1000スムで、300ドルがこんな札束に化けました。
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この旅ではタシケント→サマルカンド→ブハラ→タシケントと全て電車でまわりました。
タシケントからサマルカンドは、最新の新幹線アフロシヨブ号に乗り、もりもりとお菓子やフルーツを与えられながら、約2時間の移動でした。
サマルカンドからブハラは5時間くらいかかりました。
こちらはよくある旧ソ連圏のコンパートメント式の列車でした。
帰りはブハラからタシケントまで約7時間、1本で行きました。

青の都と言われるサマルカンドのレギスタン広場は、想像を絶する青さにとても感動しました。
ドラえもんの絵本入り込み靴とかいう道具でアラビアンナイトの世界に迷い込むお話がありましたが、まさにそんな感じで、お伽話の世界に来たようでした。
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レギスタン広場の横っちょのミナレットには、ワイロを払えば登れます。
警備員が話を持ちかけてきたりするので、やりたい人はそれに乗るだけです。
まあまあ急な階段を登ると、かわいいイスラム建築の小窓から見えるモスクが美しいです。
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モスクの天井はこれ。
正直イランのイスファハーンのモスクの天井よりも好きです。
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これは青の都を作り上げた皇帝アミール・ティムールのお墓。
昼間はなかを見学することができます。
彼は世界中をシンボルカラーのターコイズで埋め尽くそうとしました。
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サマルカンドから電車でブハラに移動します。
このミナレットは、ブハラのシンボルとなっているもの。
このミナレットの前の店で水を売ってたご夫婦のお宅にお呼ばれしたり、すごくお世話になりました。
またお伺いしたい気持ちでいっぱいです。
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ブハラの旧市街には至る所にこんな丸っこい屋根の交差点があります。
これは昔キャラバンサライとして使われていた場所で、今はお土産物なんかが売られる場所に変わっています。
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この時申し込んだのは、移動手段とホテルだけついてる、フリーツアーと言われるものでした。
世界一周してみた後の私からすると、全部手配してもらえてあとは行くだけなんて、なんで楽なんだろうと思います。
自分の力でたどり着くことも確かにいいけど、ツアーだと効率的に、個人で行くより遥かに安くなる場合も多々あり、いいことがたくさんあると思います。
ツアーを否定するバックパッカーのきもちもわからんでもないですが、私はツアーも賢く使うのが良いと思ってる肯定派です。

また、ウズベキスタンはこれまで行った国の中でダントツで良かった国の一つです。
顔は日本人にそっくりな人種も多く、差別されることもなくロシア語で道を聞かれることもよくあったし、治安が良くて夜女が一人で歩いてても、全く危険はありませんでした。
公共交通機関は地下鉄があり、旧ソ連の匂いがぷんぷんしてたまりませんでした。
タクシーは白タクオンリーですが、ロシア語やウズベク語でちゃんと交渉できれば適正価格で乗れます。
その辺の人が親切に声をかけてくれてお招きに預かったり、とても暖かいおもてなしを受けました。
今度は日本に来てね、と言いたいけどそれが実現する物価の国ではないため、私がまたたくさんお土産を持ってお伺いしようと思っています。


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