酔う子のユーラシア大陸お散歩ログ

ソムリエで料理研究家の酔う子が自由気ままに世界で飲み歩く様子をお届け

カテゴリ: 旅行・Travel

朝1時半に宿の人が起こしてくれました。
しかし涼しい気候でお腹が空いてそれより早く起床でした。
朝ごはんは昨夜の夕食時にもらいました。
もりもり食いました。
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朝1時半には宿を出ました。
ツアーの人たちは混雑を避けるため1時とかに出るみたいでした。
ヘッドライトは、、私はケチなので百均の700円くらいの充電式のやつを持っていきました。
どうせ周りの人がつけるだろうからそんないらんやろ、という読みです。
まあ実際なんとかはなりましたが、光量も足りなかったのでちゃんとしたやつがあった方が圧倒的にいいです。

山頂には3時半に着きました。
1000メートルも登らないのにゼイゼイ言って、2時間もかかってる自分が不甲斐ないです。
それほど傾斜も急ではなく、火山灰の砂の道で、普段の高尾山なら3-40分とかで行きうる高さです。
もちろんバイアグラもキメてます。
日の出は4:40なので、東方面に陣取ります。
hey Siri コンパスを出して、を活用します。
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朝メシ第二弾は!この前マレーシア人の友達が持ってきてくれたミリタリーナシレマ!!!
ホッカイロの強力なやつみたいなのが入ってるので、水を入れたら沸騰して、どこでもあったかナシレマが食えるすぐれものです!天才!
クッソ寒いのでカイロの代わりにもなります!
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ご来光!
10年前は全然登れなくてとにかくしんどくて、8合目くらいで見てイマイチ感慨もありませんでした。

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湯気が出るナシレマ。
周りの人たちはナシレマが何かは知らないまでも、クッソ寒い中グツグツと調理して、何かしらいい匂いのものを食べる私に羨望の眼差しが集中でした。
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確実に人生最高のナシレマのひとつ!!!!
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食ったらお鉢巡りをします。
10年前はしんどすぎて無理でした。
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寒いのでしばらくナシレマの抜け殻を抱きしめます。
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剣ヶ峰にも登りました!
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お鉢巡りもなんだかんだ時間かかって下山開始は6:30ごろでした。
5合目に戻ったのが10時過ぎ、バスで河口湖まで行き、ほうとうとショッピングを楽しんで帰宅しました。
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頻繁に山に行くようになったので、翌日も前回ほどの筋肉痛ではありません。
標高が高いせいか、いつもの山登りより早く頭が真っ白になり、大変気持ちよくリフレッシュできました!

早朝からバスで吉田口5合目に向かいます。
しかし足柄サービスエリアを出たあたりでバスのサスペンションがぶっ壊れて、バス会社がタクシーを呼んでくださり、タクシーで5合目入りするセレブ展開でした。
運転手さん曰く、今までは弾丸登山客を深夜に乗せるのが良い儲けだったようですが、今年から規制されてしまって、、ということでした。
こんなところで経済に響くとは想像もしていませんでした。
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11時すぎくらいに5合目で入山予約のQRコードを読んでもらい、手続きをします。
入場料2000円ですが、協力金の1000円を払うと記念の木札がもらえます。
横のところで日付入りのスタンプも押せます。
6合目までは余裕のお散歩。
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7合目すぎてくると岩場。
とはいえよく整備されていて滑ることもなく登りやすいです。
標高高いしすぐゼイゼイいうので、高山病になる前に薬(バイアグラ)を飲みました。
論文は出てないっぽいけど、高山病になりやすい私が元気だったので効いた気がします。
天気は曇ったりちょっと雨がぱらついたり、雷が聞こえるもののセーフでした。
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山小屋が見えないと気分が下がります。
植物が下界と全然違ってて素敵なんですが、虫は同じやつしかいません。

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本日のお宿、8合目の元祖室です。
海外の友達が富士登山に来るのに、日程を決めかねて2つ宿を予約していたので、そのうち一つをもらった結果が今回の私の富士登山です。

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染み渡るカレー!

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富士講のおやしろやら色々飾られています。
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元祖室到着直後にものすごい雨が降っていましたが、すぐ晴れて眼科には夜景が広がります。
こんな高さから見る夜景もそうそうありません。
昔10年前に登った時こんなの見た記憶はなかったので、よっぽど余裕がなかったんだと思います。
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この日は夕方5時ごろに就寝、バイアグラと睡眠薬をキメて熟睡でした。
夜景の写真は途中トイレに起きた時に撮りました。

日本はオーガナイズされた国である。
全てが時間通りにすすんで、すごくきっちり仕事をこなす。

反面融通がきかない。

海外から来た友人が富士山に登山し、上の方まで登った時、自国から持参したカップヌードルを食べようとした。
山の上でこの味食ったらうまいだろうと思ったわけである。
お湯がないので山小屋でもらおうとしたけど、お金を払うと言っても無理だった。
山小屋で売ってるカップ麺にお湯を入れることはできるけど、お湯のみを売ることはできないということだった。
山小屋で売ってるカップ麺買うから持参したやつにお湯入れてくれ、と言ったけどだめだったらしい。

外国人差別とかではなく、日本なら起こり得ることだと思った。
例外を作ったらそのほかに対応するのが大変だからである。
私もまあその気持ちはわからんでもない。
全てが予定通り動くことに慣れすぎて、それを維持するために全力を尽くすので、例外を認める心の余裕みたいなのがない。
それがいい悪いではなく、当然の結果であると思う。

海外はわりとごねたり袖の下でなんとかなることも多いけど、そうやって毎度イレギュラーに対応してる彼らの方がメンタル強いのでは?
などと思った。

5月某日、秩父に化石を掘りに行きました。
秩父では恐竜の化石が出たこともあったりして、かなり化石が出るようです。
日本列島が今の形になる前、さらに細かい島に別れていて、秩父あたりは湾だったようです。

まずはこのようばけってところから。
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崖って昔の地層があらわれているところで、こう言うところに化石があるそうです。
ここはカニの化石が出ます。
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次は小川のところ。
川底の岩に貝の化石がたくさん埋まってるけど流石に掘り出せず。
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とれたものを持って帰りました!
この左上のパーフェクトなカニは宝物です。
その隣の甲羅が綺麗に出てるカニは、私が初めて見つけた化石。

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川でとれたのはこれ、しじみみたいなやつとか、巻き貝も埋まってます!

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化石といえばアンモナイトとかで、化石が取れるといえばアンモナイトが取れるもんだと思ってたけど、実際そんなこともないんだなと心底。

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実は今回の巡礼の私的裏テーマは「カトリックの残忍さ」について掘りさげることでした。
私はスペインに行くより先に南米に行き、大航海時代にスペインがいかに現地の人に対して酷いことをしてキリスト教を押し付けるに至ったかをまざまざと見せつけられ、その傲慢さがどういうところから来たのかを確認したかった、という感じです。

しかし実際巡礼をやってみるとそれはそれは平和で、人種差別されることもなく、どこから来たの?なんで巡礼してるの?とみんな大層フレンドリーで、話をすると敬虔なクリスチャンも多く、そんな残忍さや傲慢さは少なくともそこには微塵もありませんでした。

考えてみると宗教の本質は「いい人になること」であり、同じいい人基準を満たすことでコミュニティの治安も良くなり、、といったものだったなと思いました。
私はキリスト教徒でこそないけど、あの巡礼の場にあったみんなで同じ一点を目指す一体感やフレンドリーさこそが宗教の原点なのではないかと思いました。
ミサのとき、周りの人との謎のハグタイムがあって戸惑ったのですが、それよりも何倍も「隣人を愛せよ」を体現した体験だったように思います。

「良い人」の価値観を共有すること、すなわちルールの存在こそが「隣人を愛す」ことつまりはコミュニティの形成につながります。
大航海時代、1500年ごろのアメリカ大陸には色々な部族がそれぞれのルールで住んでいました。
例えばアステカなんかは彼らなりのルールに従って同族や他部族の人間を捕まえては生贄にしちゃったり、果ては食べちゃっていたわけです。
その中でやってきた全くの異物であるキリスト教、もちろん略奪や暴力の事実はあるものの、その色々な部族のルールというかモラルみたいなやつをキリスト教で全て統一して、例えばなんか対応間違えたら生贄にされちゃうみたいなことがなくなって、現地の人々同士の交流がしやすくなった側面があるのではないかな?と推察しました。

現代では言語や哲学が発達し、抽象的な事柄を言い表わす言葉もかなり増えました。
ルールや法律を一般的な書き方で表すことができるのもこのおかげだと思います。
しかし旧約聖書ができた紀元前の頃はそこまでではなく、目に見える事柄を表すことしかできなかったのではないでしょうか。
おそらくそれゆえに聖書はルールという形での一般的な記載より「イサクが自分の子を神に捧げようと、、」みたいな物語形式で事例を示した書き方が多いのではないでしょうか。
だからこそ牧師や神父に当たる人がミサでその解釈を話す必要が生まれたのではないかと思います。
また当時は中国の法家思想的な、法のもとの統治、みたいな概念ではなく、俺がルール的な王様的な存在がいるのが一般的な社会だったと思います。
だからおそらくキリスト教における「神」と、現代日本で言うところの「法律」は同義のものと捉えて差し支えないのではないでしょうか。

宗教が有害なものとなりうるのは、政治や経済と結びついた時だと思います。
大航海時代の南米侵略は、キリスト教はあくまで大義名分、目当ては黄金や土地とか交易とか、あくまで政治経済に関わったものでした。
実際南米に繰り出したのは脳筋で香具師気質な人が多く、例えばペルーを征服したフランシスコ・ピサロはあまり良い教育を受けてきたわけではなく読み書きができなかったと言われています。
読み書きができないということは聖書もろくに読めないわけで、キリスト教の「汝殺してはならぬ」とかキリスト教ルールの共有が不十分だったり、いやそもそもルールを知ってたとしても現地人を人間とみなしていなかった可能性もあったり、、などと推測しました。

私もこれまで生きてきてややこしい宗教してる人に勧誘されてきたこともあり、宗教という言葉がどうしてもカルトめいたものを連想して否定的になっていました。
しかし今回実際どっぷりその世界に浸かってみると全然違う体験だったわけで、宗教そのものよりその人の宗教への関わり方とか見て判断していけたらいいな、というきもちです。

まとめ
本来の宗教の目的
・いい人間になる
・良いコミュニティの形成
宗教が害悪になる要素
・政治(侵略、領土拡大)
・経済(希少資源の獲得)

※今回は南米で見たものと巡礼の経験から書いてます。他にも例としてレコンキスタやら十字軍やらあるのは承知してますが話が長くなるから割愛。

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