実は今回の巡礼の私的裏テーマは「カトリックの残忍さ」について掘りさげることでした。
私はスペインに行くより先に南米に行き、大航海時代にスペインがいかに現地の人に対して酷いことをしてキリスト教を押し付けるに至ったかをまざまざと見せつけられ、その傲慢さがどういうところから来たのかを確認したかった、という感じです。

しかし実際巡礼をやってみるとそれはそれは平和で、人種差別されることもなく、どこから来たの?なんで巡礼してるの?とみんな大層フレンドリーで、話をすると敬虔なクリスチャンも多く、そんな残忍さや傲慢さは少なくともそこには微塵もありませんでした。

考えてみると宗教の本質は「いい人になること」であり、同じいい人基準を満たすことでコミュニティの治安も良くなり、、といったものだったなと思いました。
私はキリスト教徒でこそないけど、あの巡礼の場にあったみんなで同じ一点を目指す一体感やフレンドリーさこそが宗教の原点なのではないかと思いました。
ミサのとき、周りの人との謎のハグタイムがあって戸惑ったのですが、それよりも何倍も「隣人を愛せよ」を体現した体験だったように思います。

「良い人」の価値観を共有すること、すなわちルールの存在こそが「隣人を愛す」ことつまりはコミュニティの形成につながります。
大航海時代、1500年ごろのアメリカ大陸には色々な部族がそれぞれのルールで住んでいました。
例えばアステカなんかは彼らなりのルールに従って同族や他部族の人間を捕まえては生贄にしちゃったり、果ては食べちゃっていたわけです。
その中でやってきた全くの異物であるキリスト教、もちろん略奪や暴力の事実はあるものの、その色々な部族のルールというかモラルみたいなやつをキリスト教で全て統一して、例えばなんか対応間違えたら生贄にされちゃうみたいなことがなくなって、現地の人々同士の交流がしやすくなった側面があるのではないかな?と推察しました。

現代では言語や哲学が発達し、抽象的な事柄を言い表わす言葉もかなり増えました。
ルールや法律を一般的な書き方で表すことができるのもこのおかげだと思います。
しかし旧約聖書ができた紀元前の頃はそこまでではなく、目に見える事柄を表すことしかできなかったのではないでしょうか。
おそらくそれゆえに聖書はルールという形での一般的な記載より「イサクが自分の子を神に捧げようと、、」みたいな物語形式で事例を示した書き方が多いのではないでしょうか。
だからこそ牧師や神父に当たる人がミサでその解釈を話す必要が生まれたのではないかと思います。
また当時は中国の法家思想的な、法のもとの統治、みたいな概念ではなく、俺がルール的な王様的な存在がいるのが一般的な社会だったと思います。
だからおそらくキリスト教における「神」と、現代日本で言うところの「法律」は同義のものと捉えて差し支えないのではないでしょうか。

宗教が有害なものとなりうるのは、政治や経済と結びついた時だと思います。
大航海時代の南米侵略は、キリスト教はあくまで大義名分、目当ては黄金や土地とか交易とか、あくまで政治経済に関わったものでした。
実際南米に繰り出したのは脳筋で香具師気質な人が多く、例えばペルーを征服したフランシスコ・ピサロはあまり良い教育を受けてきたわけではなく読み書きができなかったと言われています。
読み書きができないということは聖書もろくに読めないわけで、キリスト教の「汝殺してはならぬ」とかキリスト教ルールの共有が不十分だったり、いやそもそもルールを知ってたとしても現地人を人間とみなしていなかった可能性もあったり、、などと推測しました。

私もこれまで生きてきてややこしい宗教してる人に勧誘されてきたこともあり、宗教という言葉がどうしてもカルトめいたものを連想して否定的になっていました。
しかし今回実際どっぷりその世界に浸かってみると全然違う体験だったわけで、宗教そのものよりその人の宗教への関わり方とか見て判断していけたらいいな、というきもちです。

まとめ
本来の宗教の目的
・いい人間になる
・良いコミュニティの形成
宗教が害悪になる要素
・政治(侵略、領土拡大)
・経済(希少資源の獲得)

※今回は南米で見たものと巡礼の経験から書いてます。他にも例としてレコンキスタやら十字軍やらあるのは承知してますが話が長くなるから割愛。