去年の今日は、電車でマレーシアに行って、ペナンでラクサを貪っていました。
うまかったなあ、また行きたい。
あとペナンのホステルでモロッコ人とマレーシア人のお友達ができて、彼女たちとは未だに交流があります。
みんな元気かなあ、早く会いに行きたい。
しかもマレーシア人の彼女は、ホステルが気に入ってそこのホステルのフロントで働いているそうです。

今日はだいぶ前の旅行を書いてみます。

2014年、私の肩書きがまだITコンサルだった頃、急に夏休みがとれたので思い立ってウズベキスタンに行きました。
コロナの今はわかりませんが、先日まで日本人はビザ不要で1か月滞在が可能だったのですが、私が行った当時はビザが必要でした。
とにかく時間がなかったので、JICという旧ソ連圏を扱う旅行会社に、ビザ含めホテルと交通機関まで全ての手配をお願いしました。


飛行機は、成田からウズベキスタンの首都タシケントまで直行便が出ていました。
約8時間だったと記憶しています。
最初の空港お迎えは日本語が話せる現地の方で、両替にもついてきてもらいました。
日本円を両替できる場所はなく、米ドルを持参して、なんかショッピングモールの隅に立ってるおっさんに両替してもらった記憶です。
当時の最高額紙幣は1000スムで、300ドルがこんな札束に化けました。
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この旅ではタシケント→サマルカンド→ブハラ→タシケントと全て電車でまわりました。
タシケントからサマルカンドは、最新の新幹線アフロシヨブ号に乗り、もりもりとお菓子やフルーツを与えられながら、約2時間の移動でした。
サマルカンドからブハラは5時間くらいかかりました。
こちらはよくある旧ソ連圏のコンパートメント式の列車でした。
帰りはブハラからタシケントまで約7時間、1本で行きました。

青の都と言われるサマルカンドのレギスタン広場は、想像を絶する青さにとても感動しました。
ドラえもんの絵本入り込み靴とかいう道具でアラビアンナイトの世界に迷い込むお話がありましたが、まさにそんな感じで、お伽話の世界に来たようでした。
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レギスタン広場の横っちょのミナレットには、ワイロを払えば登れます。
警備員が話を持ちかけてきたりするので、やりたい人はそれに乗るだけです。
まあまあ急な階段を登ると、かわいいイスラム建築の小窓から見えるモスクが美しいです。
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モスクの天井はこれ。
正直イランのイスファハーンのモスクの天井よりも好きです。
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これは青の都を作り上げた皇帝アミール・ティムールのお墓。
昼間はなかを見学することができます。
彼は世界中をシンボルカラーのターコイズで埋め尽くそうとしました。
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サマルカンドから電車でブハラに移動します。
このミナレットは、ブハラのシンボルとなっているもの。
このミナレットの前の店で水を売ってたご夫婦のお宅にお呼ばれしたり、すごくお世話になりました。
またお伺いしたい気持ちでいっぱいです。
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ブハラの旧市街には至る所にこんな丸っこい屋根の交差点があります。
これは昔キャラバンサライとして使われていた場所で、今はお土産物なんかが売られる場所に変わっています。
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この時申し込んだのは、移動手段とホテルだけついてる、フリーツアーと言われるものでした。
世界一周してみた後の私からすると、全部手配してもらえてあとは行くだけなんて、なんで楽なんだろうと思います。
自分の力でたどり着くことも確かにいいけど、ツアーだと効率的に、個人で行くより遥かに安くなる場合も多々あり、いいことがたくさんあると思います。
ツアーを否定するバックパッカーのきもちもわからんでもないですが、私はツアーも賢く使うのが良いと思ってる肯定派です。

また、ウズベキスタンはこれまで行った国の中でダントツで良かった国の一つです。
顔は日本人にそっくりな人種も多く、差別されることもなくロシア語で道を聞かれることもよくあったし、治安が良くて夜女が一人で歩いてても、全く危険はありませんでした。
公共交通機関は地下鉄があり、旧ソ連の匂いがぷんぷんしてたまりませんでした。
タクシーは白タクオンリーですが、ロシア語やウズベク語でちゃんと交渉できれば適正価格で乗れます。
その辺の人が親切に声をかけてくれてお招きに預かったり、とても暖かいおもてなしを受けました。
今度は日本に来てね、と言いたいけどそれが実現する物価の国ではないため、私がまたたくさんお土産を持ってお伺いしようと思っています。