イースター島モアイの謎は色々あります。
誰が、何のために、どうやって運んだのか、、などなど。
今日はモアイの工場でそれを見てきました。
モアイを作ったのは、スペインのイースター島侵略の1864年まで統治していたポリネシア系の民族です。
ポリネシアの島の王様が、自身が見た夢に従い、冒険団を結成し、日の出の方向に向かわせた先で見つけたのがイースター島であった、という伝説があります。
事実イースター島での生活の痕跡は紀元1200年ごろから始まっていることが確認されています。
モアイはそれ以降に作られたものである可能性が高いようです。
この写真で有名なラノ・ララクという場所が、モアイが作られる工場でした。
この2体だけでなく、もっとたくさんあります。
首から上が土の上から出ていますが、基本は身体があって、地中に埋まっています。
保存上の問題から体は埋めっぱなしにしています。
これが一番安く上がる保存方法だそうです。
こんな感じで、モアイがモリモリ埋まっています。
この量から分かる通り、当時のイースター島でモアイ作りは一大産業だったと考えられています。
一体のモアイにもたくさんの人手が加えられ、完成後は島のどこかに運ぶための人手が必要になります。
わかりにくいですが、これは作りかけモアイです。
完成していれば島で一番大きいモアイになります。
作りかけが放置されたままなのも、この島の人はなぜ突然モアイ作りをやめたのか、謎の一つです。
このモアイは正座しており、足があります。
この島で唯一足があるモアイです。
これは行き倒れモアイ。
運んでる途中に倒れて割れてしまったようです。
じゃあどうやって運んだんやと言うのも謎の一つになっています。
モアイは設置場所まで歩いた、という伝説があるので、冷蔵庫をちょっとずつ動かすみたいに、左右をチョコチョコ歩くように動かしたのではないか、という説があります。
こちらはプナパウと呼ばれる場所。
ここに転がっているのは、モアイの頭の上の飾り、プカオです。
モアイ本体とプカオは違う種類の岩で作られています。
プカオの方は、ちょっと赤茶けた感じの火山岩です。
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