私がベルサイユのばらにハマったのは、中学生の頃に見た宝塚歌劇団の公演がきっかけです。
宝塚ではこの話をオスカルとアンドレ編、アントワネットとフェルゼン編に分けて公演しており、当時見たのは花総まりアントワネット、和央ようかフェルゼンのアントワネットとフェルゼン編だったのを覚えています。
漫画を買ったのはそのあと、そして擦り切れるほど読みました。
私の中でベルサイユのばらといえば「愛、それは、」のあの歌が頭の中に再生されます。
ベルサイユはパリ(少なくとも私のホテルからGoogleマップで経路出したら)から約20キロ離れています。
ロザリーがポリニャック伯夫人のところから脱走したとき、足が痛くなるほど歩いている図がありめすが、そりゃ吹雪の中20キロ歩いたら足も痛くなります。
パリ中心部から行く方法は、RERのC線とかいう多少ややこしい電車に乗るか、モンパルナス駅から中距離電車に乗る方法があります。
どっちもどっちですが、帰りモンパルナス駅で切符を通しても改札を出られず突破したりしたため、どちらかというとC線のがそういう心配はないのかもしれません。
人数が多いならウーバーもそこまで高くないようです。
電車に乗っていると途中出てくるのがムードン駅。
ルイ・ジョゼフが脊椎カリエスにかかって療養していた場所です。
ベルサイユも負けず自然がいっぱいで空気も良さそうだと、療養も十分できたのではないかとおもいました。
ベルサイユ宮殿はC線のベルサイユの駅から徒歩約10分くらいのところにあります。
私が期待したのはこの光景なのですが、そもそもベルサイユが見下ろせるような丘とか坂とか高い建物は現在は見当たりませんでした。
駅からはこんな感じで見えます。
着いたのは朝9時前、既に人が列を成しています。
チケットは事前にネットで時間指定で買っておきました。
有名な鏡の間、首飾り事件のときにローアン大司教が逮捕されたところです。
朝イチとはいえまあまあ混んでいます。
これはアントワネットの寝室。
革命でパリの民衆がベルサイユに押し寄せた際、この部屋にある隠し通路からアントワネットは逃げたと伝えられています。
隠し通路だからこんなドアが開かないってことはないのか、使われてなくて開きにくくなってたのか。
寝室の隣の隣にあるのがこの部屋。
衛兵の控え室になっていたそうですが、革命時にパリの民衆はこの部屋まで迫りました。
音声ガイドでも、この「王后を助け参らせよ」の人のことが触れられていました。
部屋だから実際は階段ではないです。
そして宮殿を離れ、プチトリアノンのさらに奥、アントワネットが癒されるために作った農家ゾーンです。
漫画にも本物の農夫たちが働いていた、とありますが、現在でも畑や家畜が飼育され、たしかに農夫がいないとそもそも管理は無理やなと思いました。
こちらは王妃の茂み。
場所はこのブログを参考に探しました。
当時は茂みは迷路のように刈られており、ヴィーナスの茂みと呼ばれていたところです。
ジャンヌがローアン大司教とオリバを合わせるところです。
私がベルサイユを訪れた今日9月4日は、フェルゼンの誕生日だそうです。
勝手に運命感じて込み上げるものがありました。
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